8月8日(金)は、前日の花火大会でお世話になった『邑久光明園』へ、朝から向かいました。
園内にある納骨堂へお参りと献花を行い、ご冥福をお祈りし、昨日に続き、同様に差別と排除の歴史を二度と繰り返さないことを誓いました。
生徒たちは、境内の教会やお寺などの各宗派(浄土真宗や天理教など)の建物が整備されていることに驚いていました。
その後、入所者のM.Jさんのお話を伺いました。
隔離されて以降、M.Jさんが触れた物に他の人が触れようとしなかったり、同じ乗り物に乗った際に「降りろ」と言われるなどの差別を受けてきたそうです。
それでもM.Jさんは漁が大好きで、自ら船を持ち、漁でとってきたタコや魚などを販売しながら、園での生活を営んでこられたといいます。
ここで生きていくという覚悟と、生きることを決して諦めない、ひたむきな姿勢が伝わってきました。
その後、資料館で「光明園」の成り立ちについて学びました。
もともとは大阪にあったハンセン病療養所『外島保養院』が、1934年の室戸台風によって全壊し、その分散委託先のひとつとして1938年に長島に建てられた施設が『光明園』の前身であるとのことでした。
一行は、その後、「患者桟橋」や「学校跡地(旧舎と裳掛小中学校)」を観て、監禁室へと向かいました。
監禁室は、親の不幸などで帰りたくても許可が下りず脱走した患者や、その他にもさまざまな理不尽な理由で収容された人々の監禁部屋でした。
非常に狭く、窓も小さな空間で、食事は1日1回おにぎり2つ程度。壁には当時の「落書き」がそのまま残されていました。
午後から生徒たちは、2日間の研修内容について話し合い、振り返りとレポート作成を行いました。🌝