大阪暁光高等学校の最新ニュース・イベント情報をお届けします!80年前、「ありったけの地獄を集めた」と言われた沖縄戦。住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、4人に1人が命を奪われました。
戦後もアメリカ軍の「銃剣とブルドーザー」によって家や生活を奪われ、幾重にも苦しみを味わってきました。美しいエメラルドグリーンの海とハイビスカスだけではない沖縄の真実を事前に学んできました。修学旅行は実際に「もう一つの沖縄」を感じる貴重な場となりました。
1日目は『平和祈念公園』の中にある平和祈念堂で、男子学徒の研究を続ける大阪出身の大田光さんの講話を聞きました。
その後、クラスに分かれて、ひめゆり学徒のいた「南風原陸軍病院壕」「ヌヌマチガマ」「アブチラガマ」「山城本部壕」「アンディラガマ」を訪れました。「鉄の暴風」が降り注ぐ戦場で住民やひめゆり学徒が避難していたガマ(壕)に入りました。
ガマの中では平和ガイドの方より説明を受け、すべての光を消して当時の暗闇を追体験しました。
南風原陸軍病院壕では、当時のひめゆり学徒が「飯上げ」に使っていた山道を歩き、実際に使われていた医療道具などを見ました。
夜には、修学旅行委員会主催で、学んだことをそれぞれのクラスごとに発表・交流し、学びを深めました。
2日目は、15歳で補助看護師として動員され、多くの命が失われたガマのすぐ横に建つ『ひめゆり平和祈念資料館』を訪れ、学びを深めました。
戦争で亡くなった同世代の学徒の写真を前に、「自分ならどうしているだろう」と一人ひとりが問いかけ、命の重みと平和の尊さについて考えました💜
午後は、現在の沖縄の抱えた米軍基地の問題について考えるために嘉数高台(「世界一危険な基地」と言われる普天間基地』と「道の駅かでな」(嘉手納基地)からそれぞれ米軍基地を見学しています。
ときおり耳をつんざくような音が聞こえます。「やば!めっちゃすごい音やん」米軍戦闘機の想像以上の轟音に生徒も驚きの表情でした。「大阪には米軍基地はないけど、この問題を『沖縄の問題』にしていいのかな」旅行委員の一人がつぶやきました。






























